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2014.12.22 09:00

特別記事 【台湾】 野草居食屋 ~台湾特派員ケイティ 取材記事vol.2~

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「鉄道の記憶」
 
“汀洲路、牯嶺街、同安街に拡がる小道をそぞろ歩くと、あたかも起伏に富んだ迷宮に迷い込んだかのような錯覚になる”
実は、この小道の凹凸には、古き良き台北の街を走った鉄道の記憶が刻まれています。
アスファルトの下には、今も当時敷かれていたレールの痕跡が残されているのです。
 
1921年(大正10年)、台湾総督府は大量の石炭を輸出するため、萬華から新店まで鉄道を敷設しました。
当初は縦貫線の新店支線と呼ばれ、後に、景美や木柵を経由する軽便鉄道(1903年開通)と繋がったことで「萬新鉄路」と改称。
1931年、郡役所前(現在の文山区公所)までに300mが延伸され、沿線の駅は萬華、堀江、馬場町(和平)、螢橋、古亭町、仙公廟、水源地、公館、十五分(萬隆)、製罈会社前、景尾(景美)、二十張、公学校前、大坪林、七張犁、新店、郡役所前の、全長10.7kmにも及びました。
 
本来は石炭、茶、木材や生活用品を運搬するための萬新鉄路でしたが、住民の増加や輸送量の激増など環境の変化に伴い、観光や沿線住民の通勤通学に威力を存分に発揮。
沿線の福州街から廈門街、牯嶺街、同安街から金門街の一帯には、国立台湾大学の教職員宿舎が多く点在しており、台大関係者にとってこの鉄道は文字通り通勤の足として、今日のMRTの機能を果たしていたのです。



萬新鉄路の沿線にたたずむ「野草居食屋」は、日本時代に建てられた木造家屋を利用しています。
以前の家主は、台湾大学農業化学部の陳玉麟教授(1921/5/20~1996/5/15)でした。
1978年には「中華民国雑草学会」を設立。農薬化学の研究や雑草の生態と対応について50年以上にわたって貢献し、定年後も積極的に会議や研究に携わりました。
 


新しい生命を吹き込んだこの日本家屋は、夜な夜な庶民が古き良き昔の台北南部の思い出を語る場所となりました。
毎日、黄昏どきにもなると、1日の疲れを癒すため、たくさんの人々が「野草居食屋」の門をくぐります。
“ひとつの老家屋にたくさんの友人たちが集まって酒を飲み交わす”、今日も古い瓦屋根の下で人々の生命が輝いています。